今でこそ「花沢類といえば小栗旬」というパブリックイメージが確立されていますが、企画当初、小栗旬本人はこのオファーに対して強い難色を示し、出演を断る意思を固めていました。当時の芸能界における小栗旬のポジションと、彼が抱いていた役者としての自意識が大きく影響していました。
『花より男子』以前の小栗旬は、『GTO』(1998年)でのいじめられっ子役や『ごくせん』(2002年)での金髪ヤンキー役、『Stand Up!!』(2003年)など、泥臭さや影のある不良少年、エキセントリックな役柄で高い評価を得ていました。「自分は泥臭い芝居を泥臭く演じる役者だ」という自負を持っていた当時22歳の小栗旬にとって、少女漫画界屈指の完璧な美青年であり、大富豪の御曹司である花沢類という役柄は、あまりにも自身のパブリックイメージと対極に位置していたのです。
当時、制作陣はオーディション形式ではなく、プロデューサーの瀬戸口克陽氏らによる熱烈な「指名オファー」として小栗旬にアプローチしていました。しかし、台本を読んだ本人は「白馬に乗った王子様のような役なんて絶対自分には無理だ」「恥ずかしくて演じられない」とマネージャーに降板を直訴する事態にまで発展しました。
この危機的状況を打破したのが、小栗旬の実の母親と姉の存在でした。大の少女漫画好きで『花より男子』の原作ファンだった2人に相談したところ、返ってきたのは予想外の強烈な言葉でした。「あんたに花沢類ができるわけないでしょ!類はもっとかっこよくて繊細なの!」という容赦のないダメ出しと、「でも、もし演じられるチャンスがあるなら、恥をかいてでも絶対にやりなさい」という猛烈な叱咤激励でした。この肉親からの辛辣な挑発が若き役者の闘争心に火をつけ、「そこまで言われるなら完璧に演じて見せてやる」と腹を括ったことが、伝説の配役が誕生した真の瞬間でした。