昭和の豪放磊落な映画スターを地で行く錦之介の人生は、栄光と挫折が隣り合わせでした。自身が設立した「中村プロダクション」では理想の映画・テレビ時代劇作りを追求したものの、制作費の高騰や興行の不振が重なり、最終的に10数億円とも言われる莫大な借金を背負うことになります。
さらに1982年には難病・重症筋無力症に倒れ、一時は全身麻痺で呼吸困難に陥るなど、役者生命どころか生命の危機に直面しました。この地獄のような闘病生活と借金苦のなかで、献身的に錦之介を看病し続けたのが、後に3人目の妻となる元女優の甲府にしきでした。
錦之介は不屈の闘志で奇跡的な回復を遂げ、舞台復帰を果たした後の1990年に甲府にしきと正式に再婚。晩年の錦之介は咽頭癌に冒されますが、妻・にしきの献身的なサポートを受けながら、最後の瞬間まで役者としての誇りを失うことなく、1997年3月に64歳で波乱の生涯を閉じました。