坂東彌十郎の現在と家族の絆|下積みから大河ブレイクまでの軌跡

坂東彌十郎の現在と家族の絆|下積みから大河ブレイクまでの軌跡

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坂東彌十郎の最大の外見的特徴の一つが、公式プロフィールでも公表されている身長183cmという大柄な体躯です。現代でこそ舞台映えする圧倒的なスケール感として高く評価されていますが、歌舞伎の世界においては、この長身がかつて大きな足かせとなった時期がありました。

伝統的な歌舞伎の舞台や衣装、立ち居振る舞いは、日本人の平均身長が低かった江戸時代の規格をベースに設計されています。彌十郎が初舞台を踏んだ1970年代当時、180cmを超える長身は「周りの役者とのバランスが取りにくい」「舞台から浮いてしまう」と敬遠される要因にもなっていました。

1973年、十七代目中村勘三郎に師事して初舞台を踏んだ彌十郎ですが、二十代から三十代にかけての経歴は、決して順風満帆なものではありませんでした。思うように大役がつかず、将来への葛藤を抱えていた彼を救ったのが、二人の不世出の名優との出会いです。

一人は、従来の歌舞伎の枠組みを打ち破る「スーパー歌舞伎」を創出した三代目市川猿之助(のちの猿翁)。猿之助は彌十郎の恵まれた体格とダイナミックな身体能力を高く買い、豪快な立回りやスケールの大きな敵役として重用しました。もう一人は、同世代の盟友であり生涯の恩人となった十八代目中村勘三郎(当時・勘九郎)です。

十八代目勘三郎が立ち上げた「平成中村座」の旗揚げ公演から中核メンバーとして参加した彌十郎は、浅草の仮設劇場からニューヨーク、ベルリン、ルーマニア・シビウ演劇祭に至るまで、世界各地の舞台に立ち続けました。言語も文化も異なる海外の観客を相手に、身体表現と確かな演技力だけで熱狂を生み出す過酷な現場を経験したことで、彌十郎の演技は唯一無二の奥行きを獲得していったのです。

伊藤 翔太
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伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。