シーメンス事件の経緯は、意外にも日本国内ではなく、ドイツ・ベルリンの法廷から始まりました。
1913年(大正2年)末、シーメンス社東京支社の元社員であったドイツ人カール・リヒテルが、同社の機密書類を盗み出しました。その書類には、シーメンス社が海軍艦政本部員である吉田臻(いたる)海軍中佐に対し、無線電信機の導入に関わる秘密手数料(賄賂)を支払っていた動かぬ証拠が記されていたのです。リヒテルはこの機密文書をネタにシーメンス社を脅迫しましたが、同社が警察に届け出たことで逮捕され、ベルリンで公判が開かれました。
1914年1月、ドイツの法廷で「日本海軍幹部への贈賄」の事実が暴露されると、ロイター通信がそのニュースを世界中に配信。電報を受け取った日本の新聞各社が一斉に報じ、政界に激震が走りました。立憲同志会の島田三郎ら野党議員は帝国議会で政府を激しく追及し、海軍省は火消しに奔走することになります。