「会社を去る最後の礼儀として、終業後に職場へ挨拶に行き、残務整理を手伝っただけなのに、退職後の傷病手当金が1円も支給されなかった」――これは全国健康保険協会(協会けんぽ)や各種健康保険組合の窓口、労働問題の相談現場で最も多く聞かれる悲痛な叫びの一つです。この悲劇を引き起こす元凶が、いわゆる退職日の出勤による受給資格喪失の罠です。
退職後も引き続き傷病手当金を受け取る仕組みは、健康保険法第104条に規定される「傷病手当金の継続給付」に基づいています。この権利を得るための絶対条件として、「退職日(被保険者資格喪失の日の前日)において労務不能の状態にあり、かつ実際に労務に服していないこと」が法律上厳格に求められています。
退職日に半日勤務や数時間の残務処理を行った場合はもちろん、たとえ数十分であっても業務の引き継ぎを行ったり、パソコンを立ち上げて社内メールの返信をしたりして「給与が発生する労務」や「タイムカード上の勤務実績」が生じた瞬間、保険者は「退職日に労務可能であった」と判定します。在職中であれば「出勤した日だけ不支給」で済みますが、退職日の出勤は意味合いが根本から異なります。退職日に労務可能と判断された時点で「退職日時点の継続給付の受給要件」を満たせなくなり、翌日以降の全期間における受給資格が永久に消滅するという極めて冷酷な法構造が存在するのです。
さらに見落とされがちなのが「有給休暇の取り扱い」です。退職日に有給休暇を取得して休むこと自体は労務に服していないため要件を満たしますが、退職日当日を「欠勤(無給)」ではなく「有給」にした場合、その日の傷病手当金は給与と相殺されて支給されません。退職日当日の給与の有無と、労務不能による休職実態が適正に書類上で証明されているかどうかが、その後の生活を左右する分岐点となります。