野辺山の歴史を語る上で欠かすことができない人物がいる。日本の天文学界を牽引し、国際天文学連合(IAU)の会長も務めた故・海部宣男氏だ。昭和の終わり、海外の強豪に追いつき追い越すべく立ち上げられた45m電波望遠鏡プロジェクトにおいて、同氏は技術的な難題を次々と突破する中心人物として現場を引っ張った。
当時、日本には巨大な電波望遠鏡を建設するノウハウなどほとんど存在しなかった。鏡面の精度をマイクロメートル単位で保つための熱制御や、風圧に耐える構造設計など、国内メーカーの技術者と研究者が膝を突き合わせて試行錯誤を重ねた。まさに日本発の宇宙天文学の基盤を築き上げたパイオニアたちの汗と涙が、野辺山の台地に刻まれているのだ。