ハイクオリティな海外ドラマや映画を自在に楽しめるNetflix全盛の現代において、なぜ人々は依然として素朴なテキストや簡易動画による家庭・夫婦問題の投稿に固執するのだろうか。どれほど巨額の予算が投じられたフィクションであっても、「どこかの誰かに本当に起きた出来事かもしれない」という生の手触りには敵わない場面がある。
そこには、隣の家のカーテンの隙間を覗き見るような、背徳的でありながら抗いがたい人間心理が働いている。自分の生活がいかに退屈、あるいは不満に満ちていても、他人の凄惨な修羅場を目にすることで「自分はまだマシだ」という安堵を得る。あるいは、理不尽に立ち向かう投稿者の姿に、自分自身の抑圧された怒りを重ね合わせているのかもしれない。