全国各地の社寺で引かれるおみくじの約6割から7割は、二所山田神社の敷地内にある「女子道社(じょしどうしゃ)」で製造されています。この地がおみくじの聖地と呼ばれる理由は、単なる印刷工場があるからではありません。そこには、明治時代に日本の近代化と女性の自立を願った神職の深い志が刻まれています。
明治38年(1905年)、当時の二所山田神社第21代宮司であった宮本重胤(みやもとしげたね)氏は、女性の社会的地位向上と経済的自立を目的とした組織「大日本敬神婦人会」を設立しました。機関紙『女子道』を発刊して尊皇愛国や道徳心を説く一方、活動資金の確保と地域の女性たちに安定した雇用を提供するため、機関紙におみくじを付録として同封したことがすべての始まりです。
やがて社頭頒布用のおみくじの需要が全国から集まるようになり、宮本宮司はおみくじを効率的に頒布できる日本初の実用的な自動販売機を考案・開発しました。女性たちの手作業による印刷・折り畳み作業は地場産業として定着し、現在も女子道社がおみくじのトップメーカーとして全国の神社仏閣を支え続けています。