1977年9月21日、キングレコードからリリースされたシングル『朝まで踊ろう』。この曲が世に出た背景には、昭和芸能史に残る大きな激震がありました。原宿で結成されたモーターサイクルクラブから端を発し、矢沢永吉率いるキャロルの解散コンサートで親衛隊を務めたことで一躍脚光を浴びたクールス。その絶対的リーダーとして黒革のライダースをまとい、若者たちのカリスマとして君臨していたのが舘ひろしでした。
しかし、バンドがメジャーデビューを果たし軌道に乗る中、舘ひろしを取り巻く環境は急速に変化します。1976年に映画『暴力教室』で俳優デビューを果たすと、東映の岡田茂社長をはじめとする映画人から「大型新人俳優」としての強いラブコールを受けるようになりました。音楽一本で突っ走りたいバンドメンバーと、映画・ドラマという巨大な映像世界への進出を視野に入れる舘ひろしとの間で、将来のビジョンをめぐる温度差が生じ始めたのです。
当時のインタビューや回顧録において、舘ひろしは脱退劇について「自分が描く表現のスケールと、グループの枠組みの中で求められる役割との間に葛藤があった」という趣旨の告白を残しています。決して安易な仲間割れではなく、互いの看板を守りながら自らの表現者としての道を切り拓くための、血を流すような決断でした。ファンに大きな衝撃を与えた脱退の余波が冷めやらぬ中、背水の陣で放たれたのが、ソロ名義第1弾となる『朝まで踊ろう』だったのです。