日本サッカーがプロ化の産声をあげた1990年代初頭、代表チームに必要なのは「戦術のイロハ」を教える指導者だった。その大役を担ったのが、オランダ人のハンス・オフトである。彼は「タイト&コンパクト」という極めてシンプルなコンセプトを持ち込み、それまで個々の感覚に頼っていた日本代表に組織的な守備と規律を植え付けた。1993年、あと一歩でアメリカW杯切符を逃した「ドーハの悲劇」は今も語り継がれるが、彼が近代化の礎を築いた事実は揺るがない。
その後を継いだパウロ・ロベルト・ファルカンは、ブラジルの黄金期を支えたスターだったが、日本の土壌に合わず短命に終わる。理想主義と現実のギャップ。この時点で、日本はすでに「外国人監督に何を求めるべきか」という最初の壁にぶつかっていた。