「国民情緒法」という言葉は、法学の教科書には一言も出てこない。だが、韓国社会でこれほど実効力を持つ「法」も他に存在しない。犯罪者の処罰、政治家の起訴、あるいは巨大企業の不祥事に至るまで、成文法に書かれた刑量や要件を遥かに超える厳罰を求める声が湧き起こったとき、司法は自らの首を絞めるかのように世論へと屈服する。
なぜこのような事態が起きるのか。根底にあるのは、権力や不道徳に対する苛烈な正義感と、司法制度そのものに対する深い不信感だ。人々は法が定める手続きの公平さよりも、「国民の納得感」や「懲罰の爽快感」を優先する。結果として、法の下の平等という原則は形骸化し、被告人の基本的人権や適正手続き(デュー・プロセス)が容易に踏みにじられる不合理が常態化しているのだ。