「栄光の男」の歌詞を紐解く上で、避けて通れないのが1974年10月14日の後楽園球場です。読売ジャイアンツの象徴であり、戦後日本の復興と高度経済成長を牽引したスーパースター・長嶋茂雄氏の現役引退試合。歌詞の冒頭は、まさにその瞬間を切り取った鮮烈な情景描写から始まります。
「ハンカチを振り振り あの人が 引退(さ)るのを 立ち喰いそば屋の テレビが映してた」というフレーズは、当時まだ青山学院大学の学生であり、将来への展望も定まらぬままモラトリアムの只中にいた桑田佳祐の実体験が色濃く反映されています。日本中が涙し、誰もがヒーローとの別れを惜しむ熱狂の渦の中、若き日の桑田はひとり、薄暗い立ち喰いそば屋の片隅で白黒に近いブラウン管を見つめていました。
「シラけた人生で 生まれて初めて 割箸を持つ手が震えてた」という吐露には、華やかな舞台の中心に立つ長嶋茂雄という「光」と、何者にもなれず社会の片隅に佇む自分という「影」の圧倒的な格差が刻まれています。長嶋氏が発した伝説の言葉「我が巨人軍は永久に不滅です」を引き合いに出しつつ、続く歌詞では「『永遠に不滅』と 彼は叫んだけど 信じたモノはみんな メッキが剥がれてく」と、その後のバブル崩壊や社会の閉塞感、個人の夢の挫折を容赦なく描き出しています。
長嶋茂雄氏が象徴していたのは、戦後日本人が信じた「右肩上がりの明るい未来」そのものでした。その巨人がグラウンドを去ったとき、残された名もなき庶民は、メッキの剥がれかけた厳しい現実に直面せざるを得なかった。この楽曲の本質は、国民的英雄を称えるトリビュートでありながら、同時に「英雄になれなかったすべての平凡な人間たちの痛惜」を代弁している点にあります。