崇仁地区を正しく理解する上で欠かせないのが、重層的な崇仁地区の歴史です。鴨川と高瀬川に挟まれたこの地は、古くから皮革産業や履物製造、食肉流通などの手工業・地場産業が集積し、京都の都市生活と文化を足元から支えてきた地域でした。
近代以降、被差別部落としての厳しい差別に晒されながらも、住民たちは1922年の全国水平社創立など人権確立運動の先頭に立ち、強い連帯と相互扶助の精神を育んできました。高度経済成長期には環境改善事業によって市営住宅が整備されましたが、時代の経過とともに若年層の流出と急速な高齢化という新たな課題に直面することになります。
「自分たちの街を自分たちの手で誇れる場所に再生する」という強い決意は、住民自らが策定に関わった崇仁まちづくりビジョンへと結実しました。過去の苦難を隠蔽するのではなく、人権とものづくりの誇りをアイデンティティとして継承することこそが、この地における再開発の根本精神となっています。