1975年10月9日、ジョンの35歳の誕生日に次男ショーン・レノンが誕生すると、ジョンは音楽活動を一切停止し、ニューヨークの高級アパートメント「ダコタ・ハウス」で専業主夫(ハウスハズバンド)となることを宣言します。ヨーコがレノン家の莫大な資産運用やビジネス契約を一手に引き受け、ジョンはパンを焼き、ショーンの育児に全力を注ぐという、当時としては極めて革新的な役割分担を選択したのです。
5年間の沈黙を破り、夫婦共作名義のアルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースして音楽界へ完全復活を果たした直後の1980年12月8日、悲劇が起こります。スタジオでのレコーディングを終え、ダコタ・ハウスの車寄せに到着したジョンは、精神を病んだ狂信的ファンによって背後から銃撃され、40年の短い生涯を閉じました。
現場におけるジョン・レノン最期の言葉の真相については、長年にわたり検証が続けられてきました。一部のタブロイド紙ではドラマチックな言葉が創作されましたが、警視庁の搬送記録や同乗した警察官の公式証言によると、パトカーでルーズベルト病院へ緊急搬送される際、「君はジョン・レノンか?」と問いかけられたのに対し、かすれゆく意識の中で「Yeah(そうだ)」と短く頷いたのが、客観的に確認されている最期の肉声です。ヨーコの手を握りながらスタジオを出た直後の惨劇は、世界中に癒えない衝撃を残しました。