海の頂点捕食者であり、巨大なクジラや獰猛なホホジロザメすら捕食するシャチですが、野生のシャチが人間を捕食目的で襲った公式記録は歴史上ほぼゼロです。ネット上では「人間の骨が多くて不味いから」「サーファーをアザラシと見間違えないから」といった俗説が飛び交いますが、科学的な検証により以下の決定的な理由が明らかになっています。
最大の理由は、「厳格すぎる食文化への固執(フード・ネオフォビア:新奇食物恐怖症)」です。シャチは母親から教わった獲物以外を基本的に食べ物として認識しません。魚食性の群れは目の前にアザラシが泳いでいても見向きもせず、海獣食性の群れは魚を捕食しません。何世代にもわたる彼らの「文化的なメニュー表」に人間が載っていないため、シャチにとって人間は「食べ物」というカテゴリーに該当しないのです。
さらに、シャチが持つ超高精度の生体ソナー(エコーロケーション)の存在も見逃せません。シャチはクリック音の反射波を通じて、対象物の外見だけでなく、骨格、内臓、体脂肪率までレントゲンのように透視・把握しています。ウェットスーツを着た人間をアザラシ(分厚い脂肪層を持つ)と誤認することなど物理的にあり得ず、全く別の未知の生物として識別しています。
かつてオーストラリアのエデン近海では、1840年代から1930年代にかけて「オールド・トム」と呼ばれるシャチの群れが、捕鯨船の人間と合図を交わしてヒゲクジラを追い込み、肉と舌を分け合うという「人間との歴史的共闘」を行っていました。シャチは人間を危険な脅威としてではなく、ある種の知性を持ったパートナーとして観察している節すらあります。