公的な業績の一方で、同時代を生きた人々が残した日記や書簡類には、鶴岡亀太郎の人間味あふれる素顔が記録されています。ある関係者の回顧録には「協議が紛糾した際、自ら車座に座り込んで双方の言い分を深夜まで聞き届けた」という一節があり、権威主義に陥らない現場主義者であった様子がうかがえます。
また、同時代に活動した有力者や実務家たちとの交流も盛んでした。時に対立する立場にあった人物に対しても私怨を挟まず、大局的な利益を見据えて協調を選んだ姿勢は、多くの書面で「器量の大きさ」として称えられています。こうした対話力とバランス感覚こそが、利害が激しく対立した近代初期の難局を乗り切る最大の武器でした。