『ドーナツホール』というタイトルの根幹にあるのは、「ドーナツの穴を食べることはできないが、穴が存在しなければそれはドーナツではない」という有名な空間的パラドックスです。この幾何学的・哲学的な命題を、米津玄師は人間の「記憶と喪失」のメタファーとして見事に昇華させました。
歌詞の主人公は、かつて確かに愛し、共に過ごした「あなた」の顔も名前も思い出せなくなっています。記憶の輪郭がどれほど風化しようとも、胸の真ん中にはぽっかりと冷たい空間が空いたまま残り続けている。失われた対象そのものは認識できないのに、「何かが抜け落ちてしまった」という欠落の感覚だけが鮮明に存在を主張している状態——これこそが本作で描かれる「穴の正体」に他なりません。
「胸が環状線のようにぐるぐると回り続ける」という比喩が示す通り、主人公は失った記憶を求めて思考を巡らせますが、中心にある空白を決して埋めることはできません。忘れ去ってしまうことへの罪悪感と、空白を抱えながら生きていかざるを得ない人間の不条理さが、切実な筆致で描き出されています。