1990年代後半、高容姫は乳がんと診断され、極秘裏に闘病生活に入りました。金正日は彼女を救うため、莫大な外貨を投じてフランスの一流医療陣を平壌に招致したほか、彼女自身を偽名で欧州へ渡航させました。
2004年、病状悪化に伴い彼女はフランス・パリの著名な癌専門医療機関に入院。しかし懸命の治療も虚しく、2004年5月24日(諸説あり、享年51〜52歳)にパリで客死しました。遺体は金正日が手配した特別機によって極秘裏に平壌へ搬送され、国葬級の扱いで手厚く葬られました。
現在、彼女の遺骨は平壌市の大城山(テソンサン)革命烈士陵を見下ろす特別墓地に埋葬されており、立派な墓石と記念碑が建立されています。一般国民の立ち入りは固く禁じられているものの、軍高官や党幹部による参拝記録が確認されています。
母の亡き後、その政治的野心と気品を色濃く受け継いだのが長女の金与正(朝鮮労働党副部長)です。幼少期から母の手元で帝王学を学んだ金正恩と金与正の強い絆は、他界した母・高容姫が遺した最大の政治的遺産といえます。