当時のドイツ外務省や軍部内部では、この破滅的な方針に対してどのような視線が向けられていたのでしょうか。外交文書や高官の手記を検証すると、内部の深刻な機能不全が浮き彫りになります。
ドイツ外務省の実力者であったフリードリヒ・フォン・ホルシュタインは、秘密書簡の中で皇帝の気まぐれな言動を「劇場の演出家気取り」と酷評し、外交の一貫性の欠如を嘆いていました。ヴィルヘルム2世は、1908年に英紙デイリー・テレグラフのインタビューで「ドイツ国民の多数派は反英的だが、私個人は英国の友人だ」などと口を滑らせ、英独双方の怒りを買って国際スキャンダルに発展(デイリー・テレグラフ事件)。皇帝としての威信を大きく失墜させました。
また、現代のSNSやネット上の歴史コミュニティでも「なぜドイツはロシアを敵に回したのか」「ビスマルクなら大戦を防げたか」という議論は絶えません。しかし、実証史学が明らかにしているのは、ヴェルトポリティークが皇帝個人の暴走にとどまらず、当時のドイツ社会構造が生み出した必然でもあったという冷酷な事実です。