九州からツキノワグマが消滅した現実は、単に「登山者が安全になった」という単純な話にとどまりません。生態系ピラミッドの頂点に君臨していた大型哺乳類を人間社会の活動によって排除してしまった結果、九州の自然界には深刻な生態系の歪みが生じています。
クマという捕食者を失った山林では、ニホンジカが過剰に増殖し、原生林の林床植生や希少な高山植物、樹皮を食べ尽くす「食害」が各地で深刻化しています。下層植生が失われた斜面では保水力が低下し、大雨による土砂崩れや表土流出のリスクが増加するなど、森全体の荒廃が進む悪循環が続いています。
「害獣の根絶」を目的に進められた過去の乱獲や無計画な自然改変は、数十年の時を経て土砂災害や農林業被害の激増という形で人間の生活に跳ね返ってきています。九州に熊がいないという事実は、自然環境と人間の共生バランスがいかに脆く、一度失われた生物多様性を取り戻すことがいかに困難であるかを私たちに強く物語っています。