安倍晋三氏は安倍晴明の直系の子孫ではありませんが、安倍晴明の直系の子孫は何代にも渡り、陰陽師として活躍しました。
その中でも代表的な人物をご紹介します。
安倍泰親
安倍泰親は、安倍晴明から5代目の子孫です。
安倍晴明の再来と言われるほど、陰陽師としての能力が高かったそうで、内裏火災、内親王の急逝、政変などを続々と予言しました。
安倍泰親の予言がよく当たることから『指御子(さすのみこ)』と呼ばれていたことが、平家物語に記されています。
安倍有世
安倍有世は安倍晴明から14代目の子孫です。
いくつかに分かれてしまった安倍晴明の家系の中で本家として扱われている「土御門家」を名乗り始めた人物です。
大変に才能がある陰陽師で、室町幕府3代将軍足利義満に重用されていました。
その結果、従三位の公卿となり、最終的には従二位参議刑部卿に上り詰めたのです。
これは陰陽師としては過去にない最上位で、当時「有世」という名前を知らない人がいない程に、その名を轟かせました。
当時、安倍晴明の家系はいくつかに分裂して宗家を争っていましたが、安倍有世の大出世がその宗家争いに終止符を打ち、文句なしに安倍晴明の宗家と認められました。
その後、安倍有世が興した土御門家は、江戸時代まで陰陽師として朝廷に仕えました。
土御門藤子
土御門藤子は土御門家当主の妹で、幕末から明治に活躍した女官です。
実は、大政奉還の陰の立役者となった人物なのです。
というのも、土御門藤子は大奥で和宮の側近を務めていました。
その和宮の使者として、和宮と徳川慶喜による嘆願書を京に届けたのが、土御門藤子でした。
嘆願書を届けたことが、無血開城の要因の一つとなったのです。
土御門凞光
土御門凞光は、大正時代から昭和時代の、土御門家の当主です。
この時代には陰陽道は衰退していましたが、そんな中で陰陽道の再興を目指し、日本陰陽会の副総裁となりました。
しかし土御門凞光は、26歳という若さで亡くなってしまいます。
土御門凞光には子供がおらず、弟の土御門憲忠が土御門家を継ぎましたが、華族制度が廃止され、特権階級ではなくなりました。
