世間を騒がせる凶悪事件ばかりが裁判ではない。むしろ、傍聴席に深い余韻を残すのは、ニュースの片隅にも載らない市井の人々による小さな犯罪だ。裁判傍聴芸人として知られる阿曽山大噴火が長年描き続けてきたように、そこには滑稽で、哀しく、どこか愛おしい人間の本質が凝縮されている。
万引きを繰り返してしまう高齢者の孤独、隣人同士の些細な諍いから発展した器物損壊、SNSの甘い言葉に騙されて受け子になってしまった青年の後悔。証言台に立つ被告人の背中は一様に小さく、弁護人の問いかけに消え入りそうな声で答える。
法廷画家が素早く走らせる木炭の音、検察官が淡々と読み上げる証拠品のリスト。法廷という密室では、誰もが自らの弱さと対峙することを余儀なくされる。悪人として断罪される人間が、実は自分自身や隣の席の同僚と紙一重の存在であることに気づかされたとき、傍聴席に座る者は背筋が凍るような戦慄を覚えるのだ。