愛知県名古屋市で育った幼少期、両親の離婚によって生活環境は一変した。若くして母子家庭の大黒柱となった母は、まだ幼い息子たちに不自由な思いをさせまいと、昼夜を問わずいくつもの仕事を掛け持ちしながら働き詰めの毎日を送っていたという。
家に帰れば疲労困憊のはずの母が、常に笑顔を絶やさず、愛情を注ぎ続けてくれた。幼い平野紫耀はその背中をじっと見つめていた。自分が弱音を吐けば母を苦しめてしまう。そう直感した彼は、幼心に「早く大人になって母を支えたい」と強く願うようになった。弟の食事を用意し、家事を手伝いながら過ごした日々は、彼の自立心と他者への深い優しさを育む決定的な時間となった。
ダンススクールへの送迎や月謝の工面など、母はどんなに生活が苦しくても子どもの夢を決して諦めさせなかった。自分を削ってまで息子の可能性を信じ抜いた母の情熱こそが、後の世界的スターを生み出す最初の原石を磨き上げたのである。