街の成り立ちを理解せずして、取締まりの本質を掴むことはできません。金津園の歴史は、戦前の加納遊郭にまで遡ります。戦後の公娼廃止を経て赤線地帯へと形を変え、1958年の売春防止法完全施行を契機に、現在の特殊浴場街(旧トルコ風呂街)へと姿を変えました。全国的にも珍しく、主要新幹線駅や県庁所在地の中核駅至近に位置し続けたことで、独自の発展と軋轢を繰り返してきた特異なエリアです。
振り返れば、金津園の過去の事件には時代の社会情勢が色濃く反映されています。昭和後期から平成初期にかけては、過激化する集客競争に伴う無届営業や、未成年者の雇用が社会問題化し、大規模な捜査網が敷かれました。平成中期以降は、IT技術の普及に伴うインターネット型無店舗無許可風俗の浸透や、反社会的勢力による不透明な資金洗浄の拠点化が問題視され、数々の特殊浴場摘発事例が報道を賑わせました。
当時の金津園の摘発ニュースを検証すると、事件が発生するたびに行政側による岐阜市歓楽街規制が段階的に引き上げられてきた事実が分かります。特にJR岐阜駅南口の整備が進むにつれ、一般市民の通学路や居住区と歓楽街の物理的距離の近さが議論の的となり、警察署と自治体が連携したパトロール体制が常態化していったのです。