盛岡藩の家老の家に生まれながら、戊辰戦争の敗者という重い十字架を背負って出発した原敬。彼が貴族院ではなく衆議院にこだわり、華族の爵位を生涯頑なに拒み続けた理由は、単なる美談では片付けられない。
刊行された数々の人物評伝が暴き出しているのは、大衆迎合とは無縁の孤高な権力者の素顔だ。原は自らを「平民」と位置づけることで民衆の支持を巧妙に引き寄せつつ、自らの真意を決して群衆に明かさなかった。残された『原敬日記』の筆致は驚くほど抑制的であり、味方すらもチェスの駒のように冷徹に見立てていた事実を物語る。民衆に寄り添う指導者というパブリックイメージと、冷酷なまでに合理的だった実像とのギャップこそが、彼を歴史上類を見ない特異な宰相たらしめている。