土井正三のプロ野球人生を語る上で欠かせないのが、1965年から1973年にかけて読売ジャイアンツが成し遂げた不滅の金字塔「V9」における献身的な働きです。兵庫県立育英高校から立教大学を経て1965年に巨人へ入団した土井は、1年目からレギュラーの座を掴み、川上哲治監督が掲げる「ドジャース戦法(スモールベースボール)」の最も忠実な体現者となりました。
当時の巨人は、1番・柴田勲が出塁し、2番・土井が確実に送り、3番・王貞治と4番・長嶋茂雄の「ON砲」で走者を還すという鉄板の得点パターンを確立していました。土井の通算犠打数262個は、自らの打率を犠牲にしてでもチームの1点を奪うための徹底したチームバッティングの結晶です。カウント球をファウルで粘り、投手に球数を投げさせ、甘い球を逆方向へ流し打つ技術は、当時のセ・リーグの捕手や投手陣から最も嫌がられる存在でした。
華やかなスポットライトを浴びるONの陰で、土井は「自分が凡打になってもランナーを進めればそれでいい」と公言し続けました。派手な個人記録を追わず、自軍の勝利だけを追求するそのプレースタイルこそが、黄金期の巨人を内側から支える真の背骨となっていたのです。