死から約19年が経過した2011年11月、月刊誌『文藝春秋』において、尾崎豊が死の直前に遺していたとされる遺書の存在とその全文がスクープ公開され、再び日本中に激震が走りました。
遺書は2通存在し、1通は自宅に残された手帳に、もう1通は尾崎が肌身離さず持っていたセカンドバッグの中から発見されたものでした。愛する母への思慕とともに、妻である繁美夫人へ宛てて切々とした言葉が綴られていました。
【遺書に記されていた言葉の一部抜粋】
「さようなら 私は夢見ます(中略)繁美、愛しています。あなたのことを、いつまでも忘れません。裕哉をよろしく頼みます」
この遺書の筆跡は尾崎本人のものであると鑑定され、精神的に極限まで追い詰められていた彼が、死を覚悟あるいは予感していたことを裏付ける決定的な資料となりました。遺書の公開によって「突発的な他殺」よりも「自暴自棄の果ての悲劇的な自死・事故」という側面が強く浮かび上がることとなりました。
一方で、尾崎の死後に激しいバッシングや誹謗中傷に晒された妻・繁美氏は、手記の執筆などを通じて尾崎との日々を世に伝えるとともに、長男の尾崎裕哉氏を女手一つで育て上げました。裕哉氏は現在、父の類まれなる歌声とスピリットを受け継ぎ、シンガーソングライターとして精力的な音楽活動を続けています。遺された家族が静かに前を向き、尾崎豊の遺産を守り続けている姿は、多くのファンの胸を打っています。