日本における「日輪(太陽)」を掲げる風習は古く、戦国時代にはすでに多くの武将が馬印や陣幕に用いていた。たとえば徳川家康が関ヶ原の戦いなどで赤丸を描いた旗印を掲げた記録は有名だ。しかし、これが直ちに「国家の統一旗」を意味していたわけではない。
大きな転機が訪れたのは19世紀半ば。薩摩藩主の島津斉彬が、海外の船舶と日本の船を明確に見分ける手立てとして「日章旗」を幕府に提案したことだった。異国船が頻繁に近海へ姿を現すなか、日本船であることを主張する統一シンボルが切実に求められたのだ。一方で、光芒を放射状に伸ばした旭日旗もまた、陸海軍の軍旗として独自の変遷を辿っていくことになる。単一のデザインが突如現れたのではなく、武具の装飾から船舶の識別用標識へと、時代ごとの要請に応じて役割を変化させていった経緯がある。