東山魁夷の長い画業において、白馬が登場する作品は1972年の「白馬連作」全18点にほぼ限定されています。前後の年代には見られないこの極めて異例な集中制作には、明確な契機が存在しました。
最大の要因は、1971年末に正式受諾した奈良・唐招提寺御影堂障壁画の制作です。鑑真和上に捧げる障壁画は、日本画壇の頂点に立つ東山魁夷にとっても人生最大の重責であり、10年以上の歳月を要する一大国家プロジェクトでした。「この大仕事に向き合う前に、自分自身の心を一度清め、すべてを吐き出しておかなければならない」という強烈な芸術的プレッシャーが、画家を白馬の連作へと駆り立てました。
1972年の1年間、東山魁夷は取り憑かれたかのように『緑響く』『白馬の森』『春を呼ぶ丘』『草青む』『行く秋』といった「白馬のいる風景」を次々と描き上げました。そして障壁画制作の本格的な取材(日本列島の風景スケッチ)へと踏み出すと同時に、白馬は役目を終えたかのように画面から静かに立ち去っていきました。自らの魂を導く案内役として現れ、画家の心が定まった瞬間に去っていった奇跡の1年間だったのです。