当時のブルガリア共産党を長年にわたり率いた最高指導者トドル・ジフコフは、強力な国家主導による人口動態政策を強力に推進した。社会主義体制の維持と経済拡大には膨大な労働力が不可欠であり、出生数の増加は最優先の国家目標とされたのである。
ジフコフ政権は、国家が国民の家庭形成や生殖活動に直接介入することすら正当化した。しかし、経済的支援ではなくペナルティによる強制というアプローチは、国民の強い反発と不信感を招く結果となった。国家計画に基づく強硬な人口政策がいかに個人の尊厳を傷つけ、社会構造を歪めるかを物語る典型例といえる。