なぜ「月に雁」の相場は過去の最高値から落ち着きを見せているのか。その最大の構造的要因は、日本の人口動態と切手収集カルチャーの激変にあります。
都内大手切手商のチーフ鑑定士は、日々の査定風景を次のように語ります。
「ここ数年、持ち込まれる切手コレクションの9割以上は、収集されていたご本人ではなく、そのお子様やご遺族からの依頼です。『父の遺品を整理していたら出てきた』『実家を解体するにあたってアルバムごと処分したい』という相談が圧倒的多数を占めます。昭和の熱狂を知る世代が手放す局面に入り、市場への供給量は以前より確実に増加しています」
SNSやネット掲示板を観察しても、「祖父が集めていた切手を査定に出したら月に雁があった」「昔10万円と言われていたのに、査定額が2万円と言われてショックを受けた」といった率直な戸惑いの声が数多く投稿されています。昭和30〜40年代、切手は「持っていれば必ず値上がりする確実な財産」としてサラリーマン層に熱烈に信仰されていました。郵便局の前に徹夜で行列を作り、手に入れた5面シートを大切に桐箱へしまい込んだ人々が多数存在したのです。
しかし、当時の収集家たちが目指した「将来の高騰」は、国内の愛好家コミュニティが成熟・縮小していく過程で頭打ちを迎えました。現代の若年層において切手を物理的に集める層は限られており、結果として「買い手よりも手放す売り手の方が多い」という受給バランスの緩みが生じています。その中でも「月に雁」や「見返り美人」といった美術的価値の高いトップブランドだけが、確固たる国際的評価と美術品としてのステータスによって高額ラインを死守しているのが実情です。