「雉も鳴かずば撃たれまい」の由来を遡ると、古くから長野県(旧信濃国)の犀川(さいがわ)や千曲川(ちくまがわ)流域に伝わる胸を締め付けられるような民話(人柱伝説)に行き着きます。
かつてこの地では、毎年のように川が氾濫して堤防が決壊し、村人たちは度重なる水害と飢饉に苦しめられていました。何度頑丈な堤防を築き直しても激流に押し流されてしまうため、村の有力者たちは「水神の怒りを鎮めるために生きた人間を土中に埋める『人柱』を立てるしかない」という苦渋の決断を下します。
しかし、誰を人柱にするかについては誰も言い出せません。そんな中、ある男(弥平)が何気なくこう口走ってしまいました。
「袴(はかま)に横継ぎの当て布がある者を人柱にすれば、神様もお怒りを鎮めて堤防が崩れなくなるだろう」
公平な条件を提案したつもりだった弥平ですが、村人たちが確認したところ、まさにその「横継ぎの当て布をした袴」を履いていたのは、弥平自身の幼い一人娘(お菊)でした。自分の不用意な発言によって愛娘が人柱として指名され、娘は泣く泣く激流渦巻く堤防の底へと生き埋めにされてしまったのです。
娘の犠牲によって堤防の決壊は収まりましたが、弥平は耐え難い罪悪感から完全に心を閉ざし、一言も言葉を発しないまま狂人のようになって山中を彷徨うようになりました。ある日、山を歩いていた弥平の目の前で、一声鳴いたキジが猟師の銃弾に倒れます。その亡骸を抱きかかえた弥平は、涙を流しながらこう絞り出しました。
「雉よ、お前も鳴かなければ撃たれなかったものを……。我が娘のお菊も、私が余計な一言を言わなければ人柱にならずに済んだものを……」
この哀切極まる父親の慟哭が語り継がれ、やがて後世に「雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざとして定着していきました。単なる言語的ルールではなく、「取り返しのつかない悲劇を生む言葉の重み」がこの伝承の根底には流れています。