日本史における最大のスターである織田信長の肖像は、近年劇的な更新を遂げている。かつて喧伝された「古い因習を破壊する無神論のカリスマ」という人物像は、最新の研究によって完全に否定されつつある。信長は朝廷の伝統的権威や寺社の既得権益を闇雲に否定したわけではない。むしろ皇室儀礼の復興に巨額の資金を投じ、既存の法秩序を極めて厳格に運用した極めて現実主義的な「秩序の修復者」だったことが、当時の書状群から浮き彫りになっている。
比叡山延暦寺の焼き討ちも、無差別の虐殺劇というよりは、事前の度重なる警告と政治交渉が決裂した末の限定的な軍事作戦であった可能性が高い。冷徹な暴君ではなく、緻密な外交計算と兵站管理に神経をすり減らしていた実務家——それが現代の学術界が描き出す信長のリアルだ。
一方、天下人となった徳川家康のイメージもまた、「鳴くまで待とう」と称された忍耐の化身から、極度の重圧に苛まれ続けたリアリストへと変貌した。家康が生涯を通じて残した膨大な書状には、胃痛や体調不良を訴える記述が頻繁に見られる。決断の遅さは慎重さの表れというよりも、家臣団の分裂や強大な敵に対するギリギリの恐怖心と向き合っていた証左に他ならない。神格化された東照大権現の仮面を剥がしたとき、そこに現れるのは綱渡りの同盟関係に怯えながらも、驚異的な修正能力で生き残った不屈の政治家である。