信介さんを理不尽に奪われた父・富久邦彦氏は、深い絶望に沈むことを拒み、事故原因の徹底追究と再発防止を求める活動の先頭に立ちました。「息子の命を単なる数字や過去の出来事として終わらせない」という固い決意のもと、遺族会を立ち上げ、行政や営団地下鉄(現・東京メトロ)に対する厳格な情報開示要求を続けたのです。
刑事責任の追及において、検察当局は2004年に「せり上がり脱線のメカニズムは当時予見困難であった」として、営団関係者ら全員を不起訴処分としました。予見可能性の壁に阻まれ、刑事責任を問うことが極めて困難な日本の法制度の限界が浮き彫りとなった瞬間でした。
しかし、富久邦彦氏をはじめとする遺族の戦いは法廷の外で巨大な力を発揮します。営団地下鉄および国との民事交渉において、遺族側は単なる賠償金ではなく「安全協定の締結」と「恒久的な安全対策の履行」を強く要求。事故調査資料の全容開示を求め続け、車両整備基準の改定や安全教育の刷新を約束させました。
邦彦氏ら両親が書き残した手記や証言には、一人息子の成長を見守るはずだった未来を奪われた痛切な叫びとともに、技術的データや車両構造を寝る間も惜しんで勉強し、鉄道技術者と対等に議論を交わした血のにじむような記録が刻まれています。遺族の妥協なき追及があったからこそ、鉄道事業者は「想定外」という言い訳を許されなくなったのです。