西畑保氏が文字を習得できなかった背景には、昭和初期の過酷な家庭環境と貧困という切実な理由が存在します。三重県で生まれた西畑氏は、幼くして実母を亡くし、家計を助けるために幼少期から子守や農作業などの過酷な労働に従事せざるを得ませんでした。
小学校に入学したものの、文房具を買う余裕すらなく、粗末な身なりを理由に教師や同級生から理不尽ないじめや差別に晒されました。教室に居場所を失った西畑少年はやがて学校から足が遠のき、義務教育をまともに受けることができないまま大人へと成長していったのです。
社会に出てからも「文字が読めない・書けない」という事実は重い十字架でした。就職先や現場では、文字が書けないことを必死に隠すため、記憶力と直感を極限まで研ぎ澄ませて仕事をこなしました。電車の行き先表示が読めないときは駅員に尋ね、書類への記入を求められた際には「手を怪我している」「眼鏡を忘れた」と言い訳を重ねるなど、常に発覚の恐怖と恥ずかしさに怯える日々を過ごしていました。