世界最強の発酵食品であるシュールストレミングすら、化学合成された有機硫黄化合物の凶暴さの前では赤子同然に霞む。その頂点に立つのが、化学史上もっとも恐れられている有機化合物「チオアセトン」だ。
1889年、ドイツのフライブルクにある研究所でチオアセトンの合成実験が行われた際、わずか数滴の生成物が空気中に漏出した。その結果、半径750メートル以内の住民全員が耐え難い悪臭に襲われ、街中で激しい嘔吐や失神者が続出。最終的に街全体が避難騒ぎへと発展したという記録が残されている。チオアセトンが放つ悪臭は、生ゴミや糞尿を何千倍にも濃縮し、そこに腐ったタマネギの毒気を混ぜ合わせたような地獄の臭気と形容される。
さらにギネス世界記録に「世界一臭い物質」として公式認定された「エタンチオール」も忘れてはならない。エタンチオールは希釈しても強烈な悪臭を放つため、都市ガスに微量添加され、ガス漏れを即座に感知するための警報臭として実生活を支えている。自然界の兵器であるスカンクの分泌液(ブチルメルカプタン)や、死体から発生するカダベリンとプトレシンなど、分子レベルで嗅覚受容体を破壊する物質は、食品の枠を遥かに超えた破壊力を持っている。