幕末の焦土と化した伏見奉行所ですが、その起源は江戸時代初期の慶長年間にまでさかのぼります。特に名高いのが、寛永元年(1624年)に第3代伏見奉行に就任した茶人・作庭家としても知られる小堀遠州(小堀政一)です。
遠州は寛永年間を通じて奉行所の大規模な改修を手掛け、単なる行政役所にとどまらない、茶道の美意識を散りばめた風雅な数寄屋建築や壮麗な日本庭園を築き上げました。高瀬川と宇治川を結ぶ水運の要衝・伏見を統治する拠点として、歴代奉行のなかでも遠州の治世は今も高く評価されています。
幕末の戦闘で建物や名園は完全に失われてしまいましたが、かつて遠州が愛でた優美な空間が、200年以上の時を経て武士たちの最後の血戦場となった歴史の皮肉には、深い趣が感じられます。