幕府の公式記録において、仙台藩は「表高62万石」として格付けされていました。しかし、歴史研究が明かす仙台藩62万石の実態は、その数字を遥かに上回る巨大経済圏でした。歴代藩主による積極的な北上川流域の治水事業と新田開発によって、実質的な収穫高は実高100万石以上に達していたと記録されています。
収穫された膨大な米は「本石米(ほんこくまい)」として海路で江戸へ運ばれ、当時の江戸市中で消費される米の3分の1を仙台藩産が占めるほどでした。これにより仙台藩は幕府から「天下の台所を支える大名」として警戒混じりの敬意を払われることになります。
しかし、その繁栄の裏では深刻な財政危機も進行していました。18世紀以降、宝暦・天明・天保と続く大飢饉が東北地方を直撃し、寒冷地特有のやませによる凶作が藩経済を根本から揺さぶります。そこで行われたのが伊達藩の藩政改革と財政の立て直しでした。5代藩主・伊達吉村は徹底した倹約令と職制改革を断行して破綻寸前の財政を好転させ、「中興の祖」と称えられます。さらに藩独自の地方貨幣「仙台通宝」の鋳造や特産品の専売化を推し進め、激動の近世経済を生き抜く強靭な基盤を再構築しました。