いくら「神の啓示を受けた」と主張しても、身元の知れない17歳の農民の娘に軍の指揮を委ねるなど、通常の中世軍事社会ではあり得ない事態です。なぜ王太子シャルルは彼女を重用したのでしょうか。
1429年3月、ジャンヌはシノン城でシャルルと謁見します。このときシャルルはジャンヌを試すため、家臣の服を着て廷臣の中に紛れ込み、偽の王を玉座に座らせていました。しかし、ジャンヌは迷うことなく群衆の中にいた本物のシャルルの前に跪き、「優しき王太子殿下」と呼びかけたと伝えられます。さらに彼女は、シャルルが胸の内に秘めていた「自分は本当に先王の実子なのか」という疑念を晴らす神の言葉を告げたとされています。
もちろん、宮廷側も盲信したわけではありません。ポワティエの神学者たちによる3週間にわたる厳格な異端審査が行われ、さらには貴婦人たちによる「処女性の確認(肉体検査)」が実施されました。魔女や悪魔の使いであれば処女ではないという当時の迷信をクリアし、神学的な正統性を担保した上で、彼女に甲冑と旗、そして軍が与えられたのです。
決定打となったのは、「もはや人知の策が尽き、奇跡にすがるしかなかった」という王太子側の絶望的な台所事情でした。ジャンヌの存在は、疲弊しきっていた兵士たちの士気を劇的に爆発させる「起死回生の心理兵器」として機能したのです。