奇抜でファッショナブルなロックスターとして知られるhide氏ですが、その生い立ちは決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。1964年12月13日、神奈川県横須賀市で生まれた松本秀人少年は、幼少期は極めて内向的で、太っていた体型に対して強い劣等感を抱えていたと自著で告白しています。
そんな彼の人生を劇的に変えたのが、米国のロックバンドKISSのレコードとの衝撃的な出会いと、ハイカラで進歩的な性格だった祖母から買い与えられた1本のギブソン・レスポール・デラックスでした。ロックの洗礼を受けた彼は猛烈なダイエットに励み、自身の容姿とアイデンティティを根本から再構築していきます。
横須賀サーベルタイガーを結成してインディーズ界で名を馳せる一方、彼は将来への現実的な選択肢としてハリウッド美容専門学校へ進学し、美容師免許を取得していました。サロンワークの現場で培ったヘアメイクの高度な技術、色彩感覚、スタイリングのセンスは、後に彼が創り出すヴィジュアル系カルチャーの強固な基盤となります。「音楽と視覚表現は同列のエンターテインメントである」という確固たる信念は、この美容師修行時代に培われたものでした。
サーベルタイガーの解散に伴い、音楽活動から身を引いて美容師の道へ専念しようと決意していたhide氏を引き戻したのが、当時エックス(後のX JAPAN)を結成して新たなギタリストを探していたYOSHIKI氏でした。「hide、俺とバンドをやろう」という一本の熱烈な電話が、日本のロック史を永遠に変えることになります。
1997年のX JAPAN解散劇においても、hide氏の存在は決定的な支柱でした。ボーカルToshl氏の脱退によってバンドが空中分解の危機に瀕した際、深く絶望していたYOSHIKI氏を誰よりも力強く励まし続けたのがhide氏です。「2000年にX JAPANを必ず再結成する。それまでは各自がソロで実力を磨き、ファンを寂しがらせないようにしよう」と約束し、自らの音楽活動を通じてXの火を絶やさないよう奔走していました。その前向きな決意こそが、彼の突然の死を一層痛切なものにしたのです。