建久4年(1193年)5月、富士の裾野で行われた大規模な巻狩りの夜。激しい雷雨を突いて、工藤祐経の陣屋に二人の若者が乱入した。兄の曽我祐成(曽我十郎)と、弟の曽我時致(曽我五郎)である。父の仇を討ち果たしたこの一夜は、古典文学『曽我物語』として後世に神格化され、歌舞伎や浮世絵の定番演目として日本人の心に刻まれてきた。
だが、物語が描く「美しき兄弟愛と孝心」の陰には、武家政権の頂点に君臨した源頼朝の権力基盤を揺るがす深刻な政治的亀裂が横たわっていた。富士の巻狩りは単なる軍事演習ではなく、鎌倉幕府内の反対勢力を威嚇し、御家人たちを統制するための巨大な示威行動だったからだ。頼朝の寵臣であった工藤祐経を討つことは、幕府体制そのものへの公然たる叛逆を意味していた。
討ち入り直前の緊迫した日々、兄弟はどこで戦略を練り、誰の手引きで武器を調達していたのか。本拠地である曽我の郷から富士へ向かうルート上、監視の目を逃れるための隠れ家が不可欠だったことは想像に難くない。その最有力候補として今に伝わるのが、山腹に穿たれたこの洞穴なのだ。