六ヶ所村がエネルギーの村へと舵を切った背景には、昭和の大規模開発計画の挫折と苦渋の決断の歴史が存在します。
1960年代後半から70年代にかけて、政府主導の巨大開発構想「むつ小川原開発計画」が策定されました。当初は石油コンビナートや製鉄所を中心とする重化学工業地帯の建設が目指され、広大な土地が買収されましたが、石油ショックや産業構造の転換によって開発計画は頓挫を余儀なくされました。
広大な未利用地と開発に伴う巨額の債務を抱えた村と青森県に対し、1980年代半ばに提示されたのが核燃料サイクル基地構想の受け入れでした。農業や漁業への風評被害を懸念する激しい反対運動が巻き起こるなか、地域振興と雇用創出、国のエネルギー安全保障への貢献を掲げて最終的に受け入れが決定されました。
苦渋の選択から始まった歴史は、半世紀を経て村の基幹産業へと定着し、現在では多くの村民や地元企業が関連産業に従事する共存共栄の体制が築かれています。