アルコール発酵を語る上で欠かせないのが、主役である酵母菌の働きと呼吸の切り替え能力です。酵母(サッカロミセス・セレビシエなど)は、環境中の酸素の有無に応じて生き方を変える「通性嫌気性微生物」に分類されます。
酸素が豊富に存在する環境では、酵母はエネルギー効率の高い「好気呼吸」を選択します。好気呼吸であれば、グルコース1分子から最大38分子(現在の生化学基準では約30〜32分子)のATPを合成できるため、発酵の2ATPに比べて約15倍ものエネルギー効率を誇ります。その結果、酵母自身の菌体増殖が爆発的に進みます。
一方、酸素が遮断された環境に置かれると、酵母は即座にアルコール発酵へと舵を切ります。酸素供給を始めるとアルコール発酵が抑制され、グルコースの消費速度が劇的に遅くなるこの生化学的現象は、発見者の名を取って「パスツール効果」と呼ばれます。好気呼吸の方がエネルギー効率が極めて高いため、生命を維持するのに消費する糖の量が少なくて済むからです。
この代謝の二重性を巧みに利用しているのが、紀元前から続くパンや酒造りの発酵原理です。
パン作りでは、初期の生地こね段階で空気を含ませて酵母を増やし、その後の成形・発酵工程で生地内部を嫌気状態にしてアルコール発酵を促します。発生した二酸化炭素がグルテンの網目構造に閉じ込められることで生地がふっくらと膨らみ、生成したエタノールはオーブンの焼成時に熱で完全に蒸発して、香ばしい風味だけが残ります。
一方、日本酒やビールの醸造現場では、タンクを密閉して嫌気環境を保ち、二酸化炭素を逃がしながら液中に高濃度のエタノールを蓄積させます。2026年現在の醸造テクノロジーでは、センサーによる溶存酸素濃度(DO)のリアルタイム制御が行われていますが、その根底にある生化学的原理はパスツールが解明した酵母の適応メカニズムそのものです。