息をのむ美しさを持った皇子の誕生は、桐壺更衣の立場を救うどころか、宮中の対立を決定的なものにしました。第一皇子を産んでいた弘徽殿女御側にとって、帝が溺愛する更衣の産んだ男子は、将来の皇位継承を脅かす最大の脅威となったからです。
記録や研究資料が示す光源氏 母親 死因の本質は、産後の肉体的な衰弱と、後宮における長期的な集団心理的暴力(いじめ)による心身の破綻にあります。後宮の女性たちは、桐壺更衣が帝の御所(清涼殿)へ通う通路である渡殿(わただの)に汚物を撒き散らしたり、渡り廊下の戸を施錠して通行を妨害したりと、卑劣極まりない嫌がらせを繰り返しました。
実家の母一人に支えられていた更衣には、抗う術がありませんでした。心労と病によって骨と皮ばかりに痩せ細った更衣は、光源氏がわずか3歳の夏、帝の引き止めを振り切って実家へ退出した直後、儚く息を引き取ります。最愛の女性を理不尽な形で失った桐壺帝の悲嘆は凄まじく、この「母の理不尽な死」の記憶こそが、後に光源氏の生涯を決定づける心理的喪失体験(トラウマ)の原点となりました。