指圧の心は母心の真相|浪越徳治郎の名言と現在の評判を追う

指圧の心は母心の真相|浪越徳治郎の名言と現在の評判を追う

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浪越徳治郎氏の名を一躍世界的なものにした決定的な契機が、1954(昭和29)年2月のマリリン・モンロー来日事件です。

元大リーグの強打者ジョー・ディマジオとの新婚旅行で来日した世紀の大女優マリリン・モンローは、過密日程と環境の変化から帝国ホテルのスイートルームで激しい胃痙攣と腹痛に見舞われ、倒れてしまいます。現地の主治医もお手上げ状態となる中、白羽の矢が立ったのが当時すでに政財界で名声を博していた浪越徳治郎氏でした。

当時の関係者証言や本人の回想録によると、室内に足を踏み入れた徳治郎氏は、苦悶の表情を浮かべるモンローに対し、恐れることなく堂々とアプローチしました。アメリカの医療現場では衣服の上からの触診が一般的でしたが、徳治郎氏は「素肌に直接触れなければ正確なツボと筋肉の緊張状態は把握できない」と主張。ディマジオが見守る緊迫した空気の中、全身の指圧治療を断行しました。

首筋から腹部、背中、下肢にかけて絶妙な拇指圧を加えること約1時間。胃の激痛は劇的に治まり、モンローは翌朝には公の場へ復帰できるまでに回復しました。モンローは徳治郎氏の手を握りしめ、「あなたの指はまるで魔法のようだ」と感謝を捧げたと伝えられています。このエピソードは海外メディアを通じて瞬く間に世界中へ打電され、「SHIATSU」という日本語が国際共通語となる決定打となりました。

その後もモハメド・アリや国内外の要人を次々と治療し、昭和後期にはビートたけし氏の命名によって「ジェット浪越」の愛称でバラエティ番組へ進出。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などで見せた豪快なキャラクターは若者世代を熱狂させました。しかし、その陽気なパフォーマンスの裏には、「怪しい民間療法と見なされがちだった指圧を、誰もが知る明るく健全な医療文化として日本中に定着させたい」という計算されたジャーナリスティックな情熱が宿っていました。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。