東久邇信彦氏は、1945年(昭和20年)3月10日、まさに東京大空襲の未明に防空壕の中で産声を上げました。父は東久邇宮稔彦王の長男である東久邇盛厚王、母は昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王です。昭和天皇と香淳皇后にとって待望の「初孫(外孫)」であり、誕生時には「信彦王」と命名され、将来を嘱望される皇族の男子でした。
東久邇家の家系図を紐解くと、日本の皇室史でも稀に見るほど濃密な皇族の血統が交差している事実が浮き彫りになります。
父方の祖父である東久邇宮稔彦王は、終戦直後に第43代内閣総理大臣を務めた唯一の皇族首相であり、その妻は明治天皇の第九皇女・聡子内親王でした。つまり信彦氏は、父方を通じて明治天皇の曾孫であり、母方を通じて昭和天皇の初孫にあたります。男系を辿れば室町時代の伏見宮邦家親王の血筋に連なり、女系では直近の歴代天皇の血を濃く受け継ぐという、極めて稀有な立ち位置にありました。