仏の顔も三度まで怒るのは何回目?由来と真の意味を徹底解説

仏の顔も三度まで怒るのは何回目?由来と真の意味を徹底解説

仏の顔も三度まで怒るのは何回目?由来と真の意味を徹底解説についての最新情報をご紹介します。

「仏の顔も三度撫づれば腹立つ」という表現が民間に定着した背景には、仏教の開祖であるお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)にまつわる『増一阿含経』などの経典に記された悲劇的なエピソードが色濃く影を落としています。

お釈迦様の故郷である釈迦族の小国「カピラヴァストゥ」は、隣国コーサラ国のヴィドゥーダバ王(瑠璃王)から恨みを買っていました。かつて釈迦族がコーサラ国へ花嫁を差し出す際、身分の低い召使いの娘を欺いて輿入れさせた過去の遺恨が原因でした。王座に就いた瑠璃王は、大軍を率いて釈迦族を根絶やしにすべく進軍を開始します。

この知らせを聞いたお釈迦様は、軍勢が通る街道のほとりにある、真夏の日差しに焼かれた「枯れ木」の下に一人静かに座られました。通りかかった瑠璃王が「なぜ日陰の多い青々とした大木の下ではなく、わざわざ葉のない枯れ木の下に座っておられるのか」と尋ねると、お釈迦様は静かにこう答えました。

「親族の木陰は、いかなる木陰よりも涼しいものです」

その深い言葉の重みと慈悲に打たれた瑠璃王は、釈迦族を討つことを躊躇し、軍を引き返させました。しかし、憎悪の炎は消えず、瑠璃王は再び出兵します。お釈迦様は2度目も同じように枯れ木の下に座り、軍を押しとどめました。そして3度目の出兵時にも、まったく同じように立ちはだかり、軍を退却させました。

ところが、瑠璃王が4度目の出兵を決意したとき、お釈迦様はもはや街道へ赴くことはありませんでした。過去の偽りによって生じた因果応報の業は、もはや仏の力をもってしても免れることはできないと見届けたからです。結果として釈迦族は凄惨な殺戮を受け、滅亡の道を辿りました。

この説話における「お釈迦様が慈悲によって静止を試みたのは3回までであった」という厳然たる限界値が、のちの民衆の間で「仏の慈悲にも三度の限度がある」という教訓として語り継がれ、ことわざへと昇華していったのです。

佐々木 一輝
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佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。