戦後間もない1940年代後半、日本は深刻な食糧難と衛生環境の悪化に直面していた。そうした中、子どもたちの体力向上と公衆衛生の意識高揚を目指してスタートしたのが「健康優良児」の表彰制度である。主催には行政側として文部省(現・文部科学省)が関わり、メディア側からは朝日新聞社が全面的にバックアップする形で全国的な運動へと発展していった。
当時の学校保健現場において、児童たちは身長や体重、座高といった体格測定に加え、虫歯の有無や胸囲、さらには視力や病気への抵抗力に至るまで細かく審査された。各学校から選出された代表校の児童が都道府県大会、そして全国大会へと進み、最も優れて健康的と認められた少年少女が栄誉を手にしたのだ。昭和時代の高度経済成長期に向かう社会において、たくましく育つ子どもたちの姿は復興を果たす国家の希望そのものであった。