「甲子園に出ていないドラフト4位指名」という経歴から、プロ入り前の山本投手を「無名の原石だった」と振り返る論調がインターネット上や一部メディアで散見されます。しかし、現場のスカウトや熱心なアマチュア野球ファンの認識は全く異なっていました。
高校入学当初の球速は120km/h台前半にとどまっていましたが、徹底したフォームの見直しと柔軟性の強化により、1年秋には140km/hを突破。さらに2年秋の九州大会では、当時の高校2年生右腕としては破格の最速151km/hを叩き出しました。高校通算では5本塁打を放つなど打者としても非凡なセンスを見せつつ、投げては奪三振率の高い本格派として九州一円にその名を轟かせていたのです。
当時、九州地区の高校生投手としてプロのスカウト陣から熱い注目を集めていたのが、のちにプロ入りを果たした梅野雄吾投手(九産大九産)、太田龍投手(れいめい)、濱地真澄投手(福岡大大濠)、そして山本由伸投手からなる「九州四天王」の顔ぶれでした。高校生にして常時140km/h台中盤から後半のストレートを投げ込み、すでに鋭利なスライダーとフォークを操っていた山本投手の実力は、九州屈指のハイレベルな領域に達していました。