沈殿槽のすぐ目の前で作業を行っていた大内久氏は、推定16〜20グレイ・イークエバレント以上という、致死量を桁違いに上回る超大量被曝に見舞われた。直後は意識が清明で、搬送先の関係者と言葉を交わすほど外見上の変化は見られなかったが、体内では不可逆的な崩壊が冷酷に進行していた。
治療の拠点となった東京大学医学部附属病院の集中治療室で、前川和彦教授を中心とする合同医療チームが目の当たりにしたのは、人類が遭遇したことのない生体の崩壊現象だった。顕微鏡で覗いた骨髄細胞の染色体は、バラバラに粉砕され、もはや対をなす配列を保っていなかった。これは、細胞が新たに分裂して皮膚や粘膜、血液を再生する能力が永久に失われたことを意味していた。
白血球がゼロ近くまで激減し、妹からの造血幹細胞移植によって一時的な生着は見られたものの、放射線の影響は移植された細胞にまで及んだ。日を追うごとに皮膚が剥がれ落ち、体液と血液が全身から滲み出す過酷な状態のなか、医療チームは皮膚の移植や点滴による大量の水分・栄養補給を昼夜を問わず継続した。大内氏の83日間に及ぶ壮絶な闘病は、医学の全力を尽くした延命の試みであると同時に、未知の放射線障害との壮絶な格闘だった。